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【10】夏の朝練・ボンネット「びわこライナー」。

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写真: 【10】夏の朝練・ボンネット「びわこライナー」。

写真: 【09】さよなら「あすか」 写真: 【11】君よ八月に熱くなれ〜撮り鉄たちの「甲子園」〜

今から20年ほど前の近畿圏のJR主要線区には朝夕の通勤時間帯の着席需要に応えるべく「○○ライナー」が運行されていました。
昼間は特急に使用される車両に、普通乗車券プラス数百円で乗車出来るとあってそれなりの需要があり、JR側も車両基地から特急の始発駅まで本来空車となる回送列車を活用できるとあってお互いwin-winの関係だったのですが、その後の需要の変化、また使用できる特急車両が更新を迎えたことなどから廃止もしくは特急列車格上げとなってこれらライナー列車は2010年度までに消滅しています。
阪和線の「ホームライナーいずみ(のち「はんわライナー」)」、関西本線の「やまとじライナー」、福知山線には「ほくせつライナー」とありましたが最もバリエーションに富んだのは東海道本線の「びわこライナー」だと思います。
使用車両は特急「雷鳥」間合いの485系でしたが、同系列は初期型ボンネット、200番台貫通型、300番台非貫通型と先頭車の形状だけでも3種類、また塗装も伝統の国鉄特急色や時期によってはJR東日本上沼垂運転区のリニューアル塗装車が用いられたりと実に興味深い存在でした。
しかしながら通勤需要のための列車ということはほとんどが平日、それも撮影可能なのは朝大阪へ向かう列車のみとあって、当時学生の身であっても授業がありますのでそうそう撮影出来るチャンスはありませんでした。
数少ない機会は高校時代の長期休暇、または授業時間に余裕の出来てくる大学生活の後半ぐらいなものですが、当時感度の高くないフィルムでの撮影ですから光線状態を考えると夏休みの早朝に限定されてきます。

この写真も夏休みのある平日のこと。
この日は雲一つない晴天に恵まれ、後述する甲子園臨の撮影に淀川河川敷に出かけたと記憶しています。
盗難対策で保護ガラスの内側に掲出されるようになったヘッドマーク、そしてディーゼルカー併結用に大きく欠き取られたスカート等、細かく見れば原型を損なってはいますが屋根上のヘッドランプカバーや伝統の国鉄色を纏い特急の風格そのもののボンネット485系「びわこライナー」、雲一つない大阪の街へラストスパートをかける姿をシュートし幸先の良い撮影日の幕が開けました。

当時愛用していたのはミノルタα-7000。
1985年「αショック」なる現象で一眼レフ界にAF時代の到来を告げたカメラ史に燦然たる名を刻む世界初の本格AFシステムを構築した名機です。
もちろん私が購入したのは時期的にも純然たる中古機でしたが、当時でも15年以上経過した機体の割に見やすいファインダー、80年代的なカクカクボディーの割によく考えられた操作性で十分第一線で活躍できる存在でした。
キヤノンEOSシリーズなどの新鋭機と比べるのはあまりにも酷な話でしたが、それでも多点AF測距はまだまだ普及途上だった当時、本気の撮影にはMF置きピンの方も多く、その際ピントの掴みやすいミノルタのファインダーはAF性能よりも私にとって頼りになる存在で、その後故障代替にも同じα-7000を購入し、部品払底で修理不能になりα-707siに置き換えられるまで2台を愛用しました。

地元・大阪に本社のあったミノルタは修理の対応も早く丁寧で、ついにα-7000が修理不能になった際も所詮中古機オーナーの私にまで伝票の隅に「長年本機をご愛用賜り、厚く御礼申し上げます」なんて記載されており、そんなところにも担当者のカメラへの愛着を感じてうれしく思うものでした。
その後αは30余年の歴史を重ねる中でコニカミノルタへの合併そして撤退、SONYへ引き継がれて10年が経過しましたが幸いにも所有機にいわゆる「ソニータイマー」発動の兆候も見受けられず、メンテナンスの対応も引き続き丁寧で「α」のDNAは今も受け継がれているものと信じています。
性能よりも案外そんなところが、今も私がαシリーズを愛用している理由かもしれませんね。
願わくばAマウントの存続を期待したいところですが、後発のEマウントにご執心のSONYのことなので今後どうなるやら…。

DATA:ASA200(+1),70-210mm,1/500,F=6.7

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