天塩川(車窓から4)
江戸時代末期である1857年(安政4年)、幕府より蝦夷地御用雇を命じられた松浦武四郎が、流域に住むアイヌの助けを借りて天塩川を遡る探検行を実施し、1862年(文久4年)に発刊された「天塩日誌」にその記録を留めている。この際に現在の音威子府村付近に居住していたアイヌの古老との会話が元となって「北海道」の地名が生み出された。
アルバム: 北の光景
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コメント (2)
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サロロさん、こんにちは。
どの画像も 穏やかな流れのようでしたが、つぎつぎとやってきた台風には あまり影響は なかったのかなあ。(゜-゜)2019年10月21日 16:36 okitonbo (2)
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okitonboさん、コメントありがとう。
いずれの台風も影響があったのは道南から道東までで、道北に来る台風はなくほとんどが熱帯低気圧や温帯低気圧に変わります。2019年10月21日 20:46 サロロ(喪中) (41)
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